前回書いた白山比咩神社のような素敵な神社や土地に行くと、その感覚がとっても気持ちよくて、忘れたくなくて、ついついお神札やその土地のヒーリンググッズを購入して帰りたくなるのですが、お神札いただこうかなぁ、どうしようかなぁと迷っていると、心の中で周波数高めの私の「本当はお神札やお守りがなくてもいつでも繋がれるんだよ〜」という声が聞こえてきます。(笑)
そう距離や時間、お賽銭の金額は神様にとっては幻想で、私たちが願えば本当はいつでも繋がれる。わかってはいるけれど、そのありがとうの気持ちとして神社にお金を入れたい時もある。その神社があるのは神主さんや宮司さんのおかげで、神主さんや宮司さんは生活のある人間だし、私自身も人間だから物があることで忘れずにいられることもある。お参りに行くことやお神札やお守りがあることで、神様と繋がりやすくなることもある。(これは神様側の都合ではなく、私たち人間がオープンになりやすいという話ね♡)
だからお神札をいただいて帰ることもあるし、我が家の神棚が満席の時はお神札はいただかずに多めの金額をお賽銭に入れて帰ることもあります。そして、今回のように時間のリミットがあったり、大雨で行けなかった時は「行けなくてごめんなさ〜い!でもこれからもよろしくね〜♡」と車を走らせながらご神体の山に向かって祈ることもあります。私の信仰は結構アバウトです。 (汗) 信仰の厚い方や考え方の違う方には怒られてしまうかもしれませんが、「バチが当たる」という考えは神様ではなく、人の罪悪感から生まれているように思うんです。神様のエネルギーの高さをなめちゃいけない。(笑)
大切なのはその愛の大きさにどれだけ私たちがオープンになれるかということだと思います。